本記事は、2010年2月10日に掲載された、G-Search sideB記事を再掲載しています。

横綱・朝青龍が数々の不祥事の末、とうとう引退した。
個人的には、「横綱、だけど、ちょっとヒール」な朝青龍は、”嫌いだけど、いなきゃ面白くない”アンチ感情を抱かせる存在であった。
相撲という神聖(?)な世界においては、今まで「ヒールな存在」すら無かったのではないだろうか?

「ヒール」も大関・横綱まで登りつめてしまうと、(本来は、昇進前に審査されるものと思うが)「品格」とやらが問題になってくる。

「品格」はスポーツでいうルールというものではないかも知れないが、外国人と言えど「郷に入れば郷に従え」であるし、どの世界においても、事件性の疑われる行動を起こしてしまったら、殆どの場合「引責」となるわけで。今回も仕方が無いと思うが・・・残念である。

早速、今回の題材は「朝青龍」から「品格とは何か」等について・・・と思い、G-Searchの「新聞・雑誌記事横断検索」 調べてみたら、同じくモンゴル出身力士の「旭鷲山」というキーワードが目にとまってしまった!

(・・・何というひねくれ者。我ながら「品格」に欠ける・・・。
ああ、ふと気づけば横綱級は、この愛くるしい「お腹」だけっ。)

というわけで、気を取り直し「旭鷲山」について、はっけよい!はっきよい?!

初のモンゴル出身力士

1991年に大島親方がモンゴルで行った新弟子公募に応募し、170人の応募者の中から旭天鵬、旭天山らととも選ばれ初のモンゴル出身力士として来日し、1992年3月場所で初土俵を踏んだ。
「平幕連続在位58場所」の記録を持ち、当時は「技のデパートモンゴル支店」と言われ人気があった。ちなみに舞の海が「技のデパート本店」である。
当時、相撲の決まり手が新たにいくつか追加されたそうだが、旭鷲山(+舞の海)の取り組みがその一因となっているとのことだ。

vs朝青龍

平成15年夏場所で旭鷲山に敗れた際、土俵上でさがりを振り回した。
同名古屋場所では旭鷲山のまげをつかんで横綱史上初の反則負け、風呂場で乱闘寸前の小競り合い
となる。

本件は一連の朝青龍騒動の一番最初、と思われる。
ちなみに「朝青龍の反則による旭鷲山の勝ち星」は「金星」とは認められなかった。

引退後は「政治家」

引退後はモンゴルに帰国し、実業家を経て2008年6月モンゴル国民大会議(国会)総選挙で、首都ウランバートルで野党・民主党から立候補し、トップ当選を果たす。
本国では、朝青龍より、人気があるとかないとか。
今でも貴乃花親方同様、「土俵に上がった気持ちは忘れないでいこうと思う」だろうか。

最後に

今さらながら、すごいぞ、旭鷲山。がんばれ、旭鷲山。
まだまだ単なる噂話かも知れないが、今後、朝青龍もモンゴルで政治家になる、なんて憶測もあり、「旭鷲山vs朝青龍」がモンゴルで繰り広げられるかも知れない。
それがまた日本で話題となり、モンゴルをお騒がせすることになるかも?
(そんなことになったら、モンゴルの皆さま、許してちょんまげ。)

参考